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旅の最後は、夫の希望もあって、
リスボンのシェラトンに、、
ヨーロッパのいろんなタイプのホテルもいいけれど、
なんとなく、最後は、慣れているアメリカ資本のホテルがほっとするって、、

確かにそういう面はあると思います。

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シンプルでモダン
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壁のアートもモダンアート?
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洗面所も広い、、これはありがたいです。
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航空会社の人も利用、、
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グラジオラス

シントラのお庭でアジサイが咲いていましたが、この国では、今がアジサイの花盛りなのかしら?
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ロビーに飾られていました。
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アジサイはきれいです。

さて、街に繰り出すことになりますが、次回に、、

全米オープンテニスの件、
私は試合を見ていなくて(心配で見れない)、よくわかっていなかったのですが、、
たいていの人(私の周囲)は大坂選手に好意的(テニス仲間も)
セリーナはけなして、、おじちゃんたちのけなし方はひどくて、、セリーナかわいそう、、
確かに体格はごつくて、怖いかも、、
この姉妹はデビュー当時から知っていますが、、
デビュー当時はアメリカによくいるティーンに見えたんですが
怖がらないでも、、、と思うのです。なんだか拒絶しています。おじさんたち、

セリーナは、感情的になって、、(育児も大変かな?影響は?
それでも、私はちょっと審判に疑問です。
注意するのはいいのですが、ポイントやましてやゲームを取り上げるなんて、、
今まで試合であった?知りませんが、
以前から、暴言で有名な悪ガキといわれた男性選手は何人もいました。
男性選手なら、、それほどの罰は、、ないような。罰金でいいのに、、
男性は、女性が、控えめでなく、攻撃的面が出るのが嫌いなんだろうなんて、私は思いました。
多くの男性たちは、
こういうタイプの女性が嫌い?なんだって、、
まぁ、多くの男性に対する受けは良くないかな、、、

審判だって、感情的になったのかな??と思うのです。

大坂なおみさんは、かわいかったですが、こんな感じの勝利は、すっきりしなかっただろうなと思うのです。

ラケットを壊すのって、
自分が馬鹿なミスをしたとか、、自分に対して腹が立った時にやるので、、
あんまり他への攻撃ではないように思うのですが、、

私も、馬鹿なミスをすると(遊びのゲームでも)ラケットでちょっと地面をたたきます。
壊すほどの、力がない(?)
壊したら、もったいないからです。

何回もタイトルを取った女性選手、ナブラチロワは、
壊したい時も、「子供が見ているから」と感情を抑えたそうです。

もう一言、当時ライバルだったクリス・エバート、
おじ様たちは、エバートファンで、
かっこいいけど、男性的なナブラチロワをけなす人が多かった記憶が、
職場でテレビを見ていて、、

当時、アナウンサー、ひどいことを言っていた、
エバートのほうが女らしい、、って
ナブラチロワには、、女性らしさがないって、、そういう面はあったけど。

へへへ、、わかっていますよ、おじさまの好みは、、

ちょっと一言いいます、、、、セリーナも、尊敬する選手ですもの、、

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by aamori | 2018-09-12 08:49 | | Comments(6)

集団で感動

本の続き、あともうすこしです。


教育という病~子どもと先生を苦しめる


「教育リスク」~(光文社新書)Kindle

内田 ()


教育者たちは、被虐待児や、多様な家族への配慮はしているはずなのに、、見えなくなるのは、、
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「2分の1成人式」関連のSNSや記事を見ていると、「感動した」「涙が止まらなかった」という声があふれている。
保護者も教員も、そのことを嬉々として語っている。
ある指導書には「泣いてしまいそうな感動的な歌を歌う」と記されているし、
またサプライズで手紙を渡すというのはまさにお涙ちょうだいを狙ったものである。
感動という心を揺さぶる経験が、私たちから冷静さを奪い、問題に気づくことを難しくしている。

さらに厄介なのは、そこに「集団性」が加わっている点である。
感動によって問題が不可視化されるだけでなく、集団の圧力というものが、個々別々の問題を見えにくくさせる。
「虐待も、離婚・再婚もなく子供が元気に育っていく」という家族像を礼賛したがる多数派のもとで、
少数派の声はかき消されていく。

しかも、子供にとって家庭背景はコントロールできないものであり、
少数派であることを自分の意志で選んだわけでもない。
そこに多数派が、「自分たちの家族を信奉せよ」と押し付けてくるのである。
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よく標準という言葉が使われますが、体重や身長とか、、
標準に近いところにいて、なるべく普通、
言葉を変えれば、平凡でいる方が、生きやすいのでしょうかね、、、

子供のころからずっと、、思っていました。多数派でいたいなとも、、、
結果は??

たぶん、標準的なモノからは、離れていたんだと、、、

それにしても、集団の圧力って怖いなと、、、

NHK、「日本中を沸かせた」とか「日本中が、、喜んだ」とか、、いつも言いますが、
例えば、スポーツで好成績、世界の強豪に勝った時など。
天邪鬼だから「それほど喜んでいない人だっているだろう」と思うのです。日本中なわけではないよって。
でも、それほどのことはないなんて言葉に出して言えないですよねぇ、、ましてや「別に、、」なんて、
テレビが、盛り上げようとするほど、、ひいてしまって、其れに乗るか、、なんて思うのです。天邪鬼ですね。
あまり知られていないマイナーなアスリートが好成績をとると、、、「えらい」なんて思ってしまうんです。


個人的に応援しているアスリートが勝った時だけはうれしい私です。
それも自分勝手だから、自分になじみのあるスポーツだけですよ。
自分がやったことのある、スポーツだけ、、
女の子だと、野球もサッカーもやったことないもん、、
この人素敵なんて、ファンができたらその個人は応援するけれど、、、そんなもんです。
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写真は、アムステルダム、空港前、


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by aamori | 2018-08-09 09:55 | | Comments(6)

本の続きです。
学校の持っているこういう体質が、どうも嫌いなようです。


教育という病~子どもと先生を苦しめる


「教育リスク」~(光文社新書)Kindle

内田 ()


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「2分の1成人式」は、子供だけでなく、保護者もまた参加する。

「2分の1成人式」では様々な仕掛けを施して、子供と保護者がふれあい、さらに両者が感極まるように計画してある。

そうした機会を狙って、実は式には、とある重要な意図が埋め込まれていることがある。
それは、保護者をも学校側が教育しようという意図である。

全国の都道府県の中で、愛知県は大々的に「2分の1成人式」を推奨している。
親と子の絆メッセージ集「親子でよかった」の発行、さらにはメッセージソングの作成まで。
県の「親と子の2分の1成人式」研究会報告書によると、
「2分の1成人式」には「子供の育ち」「親の学び」「地域の参画」の3つの意義があるという。

保護者に対する教育的視線は、愛知県だけにとどまらない。
「小4教育技術」2011年に次のような説明がある。

「2分の1成人式」の取り組みには、保護者への啓発的な意義も込めたいのです。
子供の心と身体の成長を共に確かめ、共感してもらうことで、保護者自らが、
わが子へのかかわりを問い直す絶好の機会としたいのです。
そして、子育てへの意識に何らかの変化が生まれることが期待できるでしょう。

いつも書いていますが、、天邪鬼な私は、
こうした上から目線の学校の態度は嫌いです。
保護者よりは、「上」という立ち位置です。

だいたい保護者で大人な私だったら、自分のための教育は自分で選びたいです。
自分より若そうな担任教師に、教育されたくないです。私は、素直じゃぁないんですよ。

私も、傲慢ですが、傲慢だから、押し付けられた教育なんかされたくないです。大人になった今更、、
保護者をも教育しようなんて、、傲慢だと思いますけれど、、、
宗教指導者でもないのに、、、

行政がかかわって、こういうことをしようとしているなら、なおさら嫌です。
そもそも、学校の先生は学問を教えるプロであっても、、
子育てや、少なくとも、人生のプロではないと思うのです。
私が小学生の親だったころに、こんなのなくてよかったです。文句ばっかり言って、不機嫌になっていたと思うのです。
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学校教育というのは本来、子供の家庭背景を問わない場として設計されたものだ。
江戸時代の身分制度を脱して、明治時代に今日につながる学校教育制度が作られた。
学校は、生まれ(家庭背景)に関係なく子供が平等に学べる空間として誕生したのであった。

いかに家庭背景の影響を低減するのか、それが学校教育制度の使命なのである。

本来のありかたの逆ですね、、


台風が来る前に、これから出かけて、早めに帰宅したいですが、、、、
猛暑の後は台風、、仕方ないけど、、いやね。


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by aamori | 2018-08-08 09:19 |

多様化しているのに、、

本の続きです。

教育という病~子どもと先生を苦しめる


「教育リスク」~(光文社新書)Kindle

内田 ()


「2分の1成人式」の話です。
保護者への感謝の手紙とあわせて、もう一つ慎重に考えなければならないのは、生い立ちを振り返るという取り組みである。
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フェイスブックコメントより
今年、4年生の娘が、2分の1成人式をしました。
我が家は、妻が死別した父子家庭です。学校から、誕生時の様子や成長過程のエピソード等を持ってくるようにと宿題が出されました。
実際のところ母親しかわからないことも多く、宿題には苦悶しました。
母子家庭や父子家庭への配慮がほしいと強く感じました。

フェイスブックコメントより
娘が2年生の時に離婚をして、娘とともに引っ越しをしました。
幼いころの写真がないにもかかわらず入学前の写真を提出しなければならず、さらに手紙を書くという作業もあり、
親子ともども苦痛でしかありませんでした。結局参加するのが嫌になって、欠席をしてしまいました。
2分の1成人式というイベント自体は悪いとは思いませんが、強制的だし、配慮もないのでイベントをやる意義がわかりませんでした。

生い立ちを振り返ることの何が問題なのか、端的に言えば、家族が長年にわたって幸福に満ちていること、
そして、その構成員もずっと変わらず今日まで来ていることが暗黙の前提とされている点である。
家族は幸せで変わらないものという前提があるからこそ、過去をさかのぼって人前で語ることができるのである。

死別や離別だけでなく、「ステップファミリー」の存在にも目を向けなければならない。
血縁関係のない親子関係、兄弟関係が生まれた家族。

子連れの再婚が珍しくない時代、家族の多様化が進む時代において
「保護者に子供の過去のことを問えば、すぐに答えが返ってくる」という発想はそろそろ賞味期限切れである。
家族に様々な形がありうることが前提とされるべきである。

私は、著者の意見に賛成です。
感動、そんなに必要ですか?
学校に与えられなければならないものでしょうか?

あの小泉首相の「感動した」のセリフ以後、、
テレビを見ていても、インタビューで、人は「感動をありがとう」とか「感動しました」の答えが目立つようになった気がします。

別に感動は悪くないし、、いいことなのですけれど、、、
天邪鬼なもので、、
感動、素直に感動してたまるか、、
みたいなとらえ方をするのが、、私です。へへへ

でも、2分の一成人式の話、、感動でなく、腹が立ってきます。
ちょっと今回こんなこと始めた犯人探しもしたくなりました。
だから、この本の、この部分、もう少し続けます。

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写真はグランドティトン


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by aamori | 2018-08-07 09:12 | | Comments(2)

何もしなければ、、、

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本の続きです。

日本人の9割が知らない遺伝の真実

(SB新書)Kindle

安藤 寿康()


才能が遺伝することに関する大きな誤解の一つは、何もしなくても才能が開花すると考えてしまうことです。

外国語の才能に遺伝の影響があるからといって、一度も聞いたことのない外国語を滑らかに話せるはずはありません。
どんな才能であれ、未知のことを学んだり、鍛錬したりすることなしに、発現することはないのです。

教わらないことって、できないことたくさんありますよ、、、
ブランコの漕ぎ方だって、スキーだって、、水泳だって、、見ただけで、、できる??(そういう人もいるかも、、)
でも、、、教わればもっと早く、できます。楽器も、教わらないと、、、
教わらずにできないことを「才能がない」と決めつけるのは良くないです。
そういう傾向も、ちょっとあります。。本人も、親とかの大人も、、


人間の持っている能力には、膨大な数の遺伝子が複雑な形で関係しており、あなた自身を環境に適応させようとしています。
環境が変化すれば、適応の仕方も変わってきます。

逆に言うと、同じ環境に置かれても、遺伝子が異なれば、異なる適応の仕方をするということになります。
例えば、学校で同じ科目を習っても、呑み込みの速さや正確さであるとか、やる気のあるなし、
努力しようという気になるかならないかなど、人によって全く異なっているのが当たり前です。

遺伝と環境の両要因がともに働きあって才能は発現するわけですが、
一見同じ経験をしたとしてもそこから何が引き出されるのかは人によって違います。
そこに遺伝の違いがかかわってきます。
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遺伝の違い、つまり個性ということですね、、、
同じとして扱うから、、、学校って、、


どこに隠れた才能があるかわからないのですから、いろんなことにチャレンジすることって大事だと思います。
でも、向いてないと思ったら、あきらめてほかのことをする決断も、、もっと大事かなと。

やたら、忍耐とか根性とかとこだわらずに、、まず好きなことを大事にでしょうかねぇ??
隠れた才能を探すのが、、、周りの教育者などの大人の仕事では、、、
些細な才能でいいので、、、例えば、服をたたむのが上手いとか、、、(少なくとも、うちの男性らは私よりうまい、、トホホです)
だからスーツケースのパッキングがきれいです。

以前の職場、机の上は乱雑でしたが、やたらベッドメイキングが上手な方がいて、、、びっくり。
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写真はボラボラ、、

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by aamori | 2018-07-18 17:40 | | Comments(0)

勉強するのは無駄?

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本の続きです。

日本人の9割が知らない遺伝の真実

(SB新書)Kindle

安藤 寿康()


遺伝ほど俗説で誤解されているものはない!


学力や知能は遺伝的な影響力が大きいわけですが、そうなると勉強することは無駄なのでしょうか?

誤解を招きやすいのですが、学力や知力といった能力は、私たちが住んでいる知識社会と教育を前提にしています。
私たちの社会は、自分一人の力だけでは学べない膨大な知識の上に成り立っており、
社会は常に解決しなければならない問題に満ちています。
その社会に適応し、自分が直面する社会の問題を解決するためには、
その社会を作り我々を生かしてくれる知識を誰かに教えてもらわなければなりません。
そうでなければ社会的生活を営むことは不可能です。
その意味で、教育は人間が生きるうえで不可欠な学習様式であり、
人間は教育によって学習すること、つまり勉強することは、生きるうえで絶対に必要なことです。
学習や勉強は無駄であるどころか、必ずみんながしていることであり、しなければならないことです。

そのことを前提としたうえで、学力や知能には遺伝的な影響があるというのは、
同じように教育を受けたとしても、どの領域でどの程度のレベルにいけるかはどうかが、
各人の遺伝的素養によって、ある程度規定されるということです。

スポーツでオリンピックに出場できる、世界的コンクールでバイオリンを演奏する。
そうした能力とは違い、学力は、教育さえ受けて、ちゃんと努力すれば平等に伸びていく、、、、。
これは今でも親に、教師に、行政や企業の人々に、そして誰よりも学習者自身に、
信仰のように信じられているように思われます。

努力して、工夫して勉強さえすれば、だれでもいい大学に受かることができる。
その能力だけは万人に与えられているという信仰に、しがみついている人が今でも、少なくないのはなぜでしょう。
残念ながら、行動遺伝学の研究結果は、その信仰を否定することになりました。
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ショックを受ける方は多いかなぁ?なんたって、信仰だとすると、、、
この年まで生きて、いろんな人、いろんな子供の成長を見ていると、、
知識の領域だって、スポーツと同じように、才能の差があると思ったけれど、、、

スポーツで「この人にはかなわない」って思うように、
勉強でも、思ったけど、、、努力の問題ではないです。

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無理しなくたって、、人生楽しめますもん、、自分の持っている手札で、、、
適度な運動神経で、、この暑い中、テニスで遊べますもん。


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by aamori | 2018-07-17 09:29 |

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コタキナバル、カメラの露出が、、変になっていて、不思議な写真に
千と千尋???に出てきそう。

?????
私何をやったんだろう?
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本の続きです。

日本人の9割が知らない遺伝の真実

(SB新書)Kindle

安藤 寿康()


遺伝ほど俗説で誤解されているものはない!


子供が親と同じ道に進んで、活躍できるかどうかは、遺伝なのでしょうか。それとも、家に代々伝わる文化の伝達なのでしょうか。

著者は双生児法で研究。(方法などの説明は面倒で省きますが、ちゃんとした研究だと思います)
結論は、家庭環境はそれほど影響があるわけでないということで、

親と子供がいっしょにキャッチボールをする、サッカーをする、あるいはバイオリンを習わせるといったことで、
子供が持っているボトムラインの能力を引き上げる可能性はそうでない家庭より高まることはあり得ます。
しかし、子供がそれを本当に好きになり、それに時間をかけてやるようになるかどうかには、
それほど影響していないようなのです。

むしろ一人一人に特有な何かの環境(一卵性でも異なる)が、その源のようです。
もちろんその一人一人に特有な環境が家庭の中であるいは親のふるまいの中にきっかけとしてあった可能性は大いにあります。
ですから親が不要とか家庭は意味がないといっているわけではありません。
ただ、その親に育てられれば誰でも野球が好きになるとか読書が嫌いになるとか単純なものではないということです。

これだけだと、、またまた誤解を生みそうで、、

まずは、いくら家庭が、スポーツ、音楽などで、環境的にすごいからといって、
その子が、好きになるとかできるようになるかとは、それほど関係ないということで、、

「人間は生まれながらにして平等であり、すべての才能は環境によって決定される」
という考え方は、とても魅力的で美しく聞こえます。
優生学に対する批判は、「遺伝的な優劣によって人間を差別しようとしている」
ことに対する義憤から来ているのは確かでしょう。この義憤は正しいと思います。
それは科学の問題ではなく人倫の問題です。
遺伝による差別を学問的に正当化することには断固反対します。


そうなんですねぇ、、遺伝的に劣っていることから来る差別感、、これは嫌です。許せない。
そこから逆に、環境によって決定される。。って考えに行き、、

でも、環境環境って言われると、、子育てのプレッシャーが、、、
子育てで、、どうにでもなるとか、、努力とか、、そっちに圧力がかけられても、それはつらいものに。
親のせいでは、ないんです。親が環境を整えなかったからなんて、、

うちの親たち、自分たちのできないことは、すべて環境のせいにしていたような、、
つまり、戦争で、、貧乏で、、そのせいで、、できなくて、
自分の能力の結果でもあるという考えは避けたようで、、

貴族ではなく単に庶民だったのですが、、

それも、いつも聞かされていていやで、、
私の時代は恵まれているのだから、できて当たり前だという感じで、、

私が、たまたまうまくできたことは、自分たち親のお手柄、、それも???いや。

環境で決まるという考えも、つらいのですよ。

どう考えどうしたらいいかは、ものすごく難しいのですが、、、

著者もいろいろ考えています。


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普通の露出に戻って、、
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マングローブの林を船で抜けて、

船のツアーって好きです。のんびりムードで、

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by aamori | 2018-07-12 07:58 | | Comments(4)

少数派

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本の話、続きです。

なぜアーティストは生きづらいのか? 個性的すぎる才能の活かし方 Kindle

手島 将彦 (), 本田秀夫 (), 高橋 将貴(イラスト)

元バンドマンでマネージメントの経験もある専門学校の新人開発室室長と、現役精神科医師が、そのような観点から“ 個性的すぎる才能を活かす術を考えていく。アーティストとその周りの人間(家族やスタッフ、バンドメンバー)がお互いを分かり合えば、せっかくの才能を潰すことなく、末長くアーティスト生活を送れるはずなのだ!


「個性が強すぎる人」とその周囲の人とで、どうしてもうまくいかない、相容れない、ということもあるでしょう。
しかし、もともと「アーティスト」とは世界で少数派である個性や能力を持っているからこそ、「アーティスト」であるわけです。
だから、多数派にとって便利であるように作られてしまいがちな社会では、
少数派の彼らは最初から不自由を感じてしまうことも多いのかもしれません。

だから、「自分とは考え方や感じ方が、生まれながらにして違う人もいるのだ」ということを自覚することで、
折り合いをつけられるところを話し合うことができるなら、もっと世の中は生きやすくなり、
より多くのすぐれた作品を世に出せるようになるのではとないかと思うのです。

向いている才能や能力を有しているのに、その人の特性や特質みたいなものを無視して、既存のシステム、もしくは多数派の原理みたいなものだけを優先させて、10%は確実に存在する人たちを排除してしまう、もしくは多数派に無理やり合わせさせると、お互いうまくいかなくなる。
結局多数派が自分たちに合わせさせようとしてしまうんですね。

1対1で接するときに、相手がちょっと特殊なタイプだったりする場合に、自分のほうが常識人だと思っていると、
1対1の場合であっても、自分のほうが多数派の代表のような気持ちでしゃべるんですね。
で、相手のほうもこれまでの経験から、なんとなく自分が少数派であるという自覚もあったりして、
1対1なのに、多数派か少数派科みたいな会話をしてしまう。

例えばマネージャーとしてアーティストに対する場合、「僕は多数派だから、こっちに合わせろ」って思ってしまう。
反対にアーティストは、「僕は少数派なんだ、やっぱりわかってもらえない」となってしまう。

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私ですが、、なんとなく、少数派だった体験が多いかなぁ、、
「さぁ、みんなで盛り上がってやろう!!」なんて集まり、、ちょっとひいてしまうのです、
盛り上がろうとみんなをまとめようとしている人から見れば、、本音を言ったら「敵」になってしまうので、、
でも、いやなんですよ、、、でも、、でも、、、わかってもらえない。
例えば、つまらない小さなことだけど、みんなでやるラジオ体操、、
楽しめないんですけれど、、、一人でやればいいじゃんって思ってしまう。
些細なことだけど「いやだ」と感じちゃう。やっぱり、、変?だと思われそう。
特殊な才能があるわけではないんですが、、、


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by aamori | 2018-06-20 09:34 |

aggressive??

一応、絵のブログとしているので、、
以前描いた絵を、引っ張り出したら、、筆を入れたくなって、、
もっとおとなしい絵だったのに、、

私自身が、aggressiveになったようで、、、心配です。
エネルギーが出てきたといえばいいけれど、、
ドラムで、White Snakeの練習なんか始めたから、、、かな??

上品な繊細な優しさ、、は縁遠いみたい、、あこがれても、私は違うみたい、、

テニス、どちらかというと、技より力で攻撃??みたいだし、、(年なのに)

いやだな、、そういうのって、、でも仕方ないです。
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P15(652×500mm)

この山はいいなと思って、、なんだかうまくいかない点もあるので、再挑戦するつもりですが、、
登るのは嫌ですが、こういうお山は、描きたくなります。
どう描くか、、写実は無理なので、、試行錯誤で、、

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自然の作ったものは、、やぱっりすごいなと、、

粗削りな自然、、好きなようです。


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by aamori | 2018-06-16 10:53 | | Comments(8)

万能タイプも、、悩みが

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本の続きです。
なぜアーティストは生きづらいのか? 個性的すぎる才能の活かし方 Kindle

手島 将彦 (), 本田秀夫 (), 高橋 将貴(イラスト)

元バンドマンでマネージメントの経験もある専門学校の新人開発室室長と、現役精神科医師が、そのような観点から“ 個性的すぎる才能を活かす術を考えていく。アーティストとその周りの人間(家族やスタッフ、バンドメンバー)がお互いを分かり合えば、せっかくの才能を潰すことなく、末長くアーティスト生活を送れるはずなのだ!


万能タイプとうつ病予備軍

なんでもそつなくこなし、融通が利き、顔が広い、
多くの日本人が目指したくなるのは、このタイプですね。
このタイプの縮小版か、拡大版に

確かに、子供のころから、学校も親も、このタイプをほめて、
だから、このタイプにならなくてはいけないんじゃないかとずっと思ってました。
今思うと、教師も親もこのタイプじゃぁないのに、、
このタイプであるかのようにふるまっていたように思います。
こういうタイプって、理想だと思うのですが、、ところがです、

万能タイプの個性が活きると、
組織の中でもリーダーシップをとるような役割を果たしていったりする。

ただこれは、逆にアイデンティティ危機と表裏一体なんです。
つまりなんでもそつなくこなす代わりに、これといった得意分野がみつからないとか。
あとはどんな意見にも対応できる代わりに、自分の意見が持てないとか。
結果的に優柔不断に見えてしまう。
あと、常にアンテナを張っている分、目標があいまいになってしまう。

勘違いしがちなことですが、こういう個性の人、(万能型という個性)
だから目指すべきパーソナリティというわけではない。
こういう個性の人がいるということと、これを目指してやるというのは全く違う。

万能タイプの個性が活きると、交渉上手、調整役、リーダーシップ。

すべての利点は欠点でもある。
陽気は深刻味にかける。まじめは面白みに欠ける。
何でもこなすは得意なものがない。

うつ病予備軍タイプ
社交的、面倒見がよい、仕事熱心、几帳面、責任感が強い、良心的、

万能タイプの良い人ですね、

子供のころは、
できなかったけど、無理してでも、万能タイプになるべきと思っていた。
そんな必要はなかった、
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by aamori | 2018-06-12 08:56 | | Comments(0)